小説書いた

『宇宙人は舞い降りた』

 

 

 

「例えばさ、突然彗星が地球に落ちてきたり宇宙人が侵略してきて人類が滅亡するかもってこと考えない?」

平日昼間の映画館で、制服姿の彼女はそう僕に尋ねた。僕も彼女も、学校を午前で抜け出して映画を観に来ていたのだ。

「思わないな、可能性としてはあり得るかもしれないけど普通はそんなこと考えたりしないよ」

僕がそう言うと彼女はがっかりしたようだった。手に持った映画の半券を折りたたみながら、それでも可能性はあるでしょう、と呟いた。映画の半券は何度も折りたたまれてぐしゃぐしゃになっていた。

映画の上映開始を告げるアナウンスが館内に響いた。マイクを通すとどんな人の声も一種の無機質さを帯びる。

「行こう。映画始まっちゃうよ」

僕が彼女にそう言った瞬間、彼女は映画の半券を破り捨てて立ち上がり、両手を広げて僕を見た。

「実は私は宇宙人なの。そして地球にもうすぐ大きな彗星が降ってくる。」

彼女はいたって真面目な顔ではっきりと僕にそう言った。それまで頬を撫ぜていた空調の風が唐突に奇妙な生々しさを帯びた。

宇宙人?彗星?彼女は普段こんな突拍子もないことは言わない人だ。少し変わったところはあるけれど、常に常識の範囲内で思考し、行動していたはずだった。

「分からないな、君が宇宙人?」

「そう、みずがめ座のM72星団から来たの」

有名な星団だ。僕はとってつけたようなその設定に少し笑いそうになった。

「それで、なんで君はそんなことを僕に教えてくれたわけ?まさか一緒にその星団に逃げようなんて言うんじゃないだろうね」

彼女はいたずらっぽく笑い、少し腰を曲げて上目遣いで僕を見た。服の襟が下がり、彼女の白い胸元が見えた。

「正解!一緒に逃げちゃお?その彗星はね、実は私の星が地球にむけて射出したの。地球を滅ぼすためにね」

「地球を滅ぼす?なんでそんなことを」

「私の星は宇宙の裁判官兼執行官のような役割を担っててね、地球人はあまりにも有害だから滅ぼすことになったの」

彼女は冷静に訥々とそう言った。

「その彗星の名前はククメリクルス。地球なんて真っ二つでしょうね」

僕は彗星が激突して真っ二つになる地球を想像してみた。青く輝く彗星が地球に激突する。激突の衝撃で地球のプレートがめくれ上がる。彗星は砕けて飛び散り破片が雨となって地球に降り注ぐ。地球も砕け散りマントルからコアまで宇宙の塵と化す…。

「君が宇宙人だっていう証拠はあるの?」

彼女はにやりと笑い、見せてあげるわ、ついてきてと言い、僕の手を引いて映画館の外へ連れ出した。

彼女はそのまま女子トイレへと入っていこうとした。

「ちょっと、僕は入れないよ」

「彗星が地球に降ってくるのにそんな細かいこと気にしてる場合?早く入って」

彼女は半ば僕を押し込むようにして女子トイレの個室に入った。

「それで、証拠っていうのは?」

個室は狭く、彼女の体が触れ合うくらい近くにある。彼女の匂いが鼻腔をくすぐる。僕はドキドキする気持ちを抑えて尋ねた。

「見ててね…」

彼女はそう言うと目を閉じた。眉間にしわが寄っている。集中しているようだった。

しばらくすると彼女のこめかみ辺りが淡く発光し始めた。発光した部分からピンク色の触手のようなものが生えてきて腰あたりまで垂れ下がる。その触手は奇妙で生物的な生々しさがあり、先端が少し膨らんでいた。その触手が放つ光は薄暗い個室の中を照らして僕を包み込んだ。

「ね?」

宇宙人だって言ったでしょ、と彼女が囁く。伸びた触手を僕の首に巻きつけて顔を近づけた。

「一緒に逃げよう。彗星が降ってくるまであと一時間しかないよ」

首に巻きついた触手からわずかな体温を感じる。その温度はとても人間っぽくて、そして触手は彼女の腕や脚と同じくらい柔らかくて彼女が宇宙人だなんて信じられなかった。

「逃げるって、どうやって?もしかしてUFOに乗せてくれるの?」

彼女はあははと笑い、いかにも人間的な考えねと言った。

「私の星の人々はね、みんな肉体を持ってないの。思念体として生きてる。人間にわかりやすく言えば魂だけで生きてるってこと。だから君がその気になれば君の肉体から君の魂だけを取り出して連れてってあげるわ」

思念体?魂?幽霊のようなものなのだろうか。

「なんで僕を助けてくれるの?」

「なんでだろうねぇ〜」

彼女はにやにやと笑いながら答えをはぐらかした。

どうしよう。彼女と一緒に地球と肉体を捨てて逃げるべきなのだろうか。でも…。僕は彼女が好きだった。一緒に地球を捨てて逃げてもいいと思えるくらいに。でも、僕は彼女のどこが好きだったんだろう?少し迷ったけれど、その答えはすぐに分かった。

「君は肉体を捨てるんだよね?」

「そうよ」

「僕はね、君の顔や身体や声が好きだったんだ。その大きな目とか柔らかな声とか左耳のピアスとか全部含めてね。君の体と一緒に心中するのも悪くないかなと思えるほどに好きだった。君の内面も好きだけど、同じくらい身体が好きなんだよ。俗っぽい愛情だろ?でも僕はそれを間違ったものだとは思わない。だから君が捨て去った身体と一緒に心中するよ。君の期待に応えられなくてごめん」

彼女は表情を変えずに僕が喋るのを聞いていた。そして「人間ってよく分からない。でも君のそういう人間らしい、よく分からないところが好きだったよ」と言った。少しの間僕の瞳を覗き込んでいた。彼女は僕の気が変わらないか待っているようだったが、瞳の奥に僕の決意を感じ取ったらしい。さよなら、と言って彼女は意識を失った。魂が宇宙へ帰っていったのだろう。それでお別れだった。

僕は倒れかかる彼女の身体を抱きしめた。体温が低下していくのを感じる。しかし、首に巻きついた触手は暖かく、発光したままだった。

僕は彼女と過ごした日々を思い返してみた。思い出すのは彼女の手の柔らかさとか抱きしめたときの温かさとか、彼女がまれにみせる笑顔とかばかりだ。

僕はトイレの個室の薄暗闇の中で、彼女の淡く光る触手を見つめていた。僕が愛していたのは間違いなくこの肉体だったのだ。僕は目を閉じ、彼女と一緒に地球の終焉を待つことにした。